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by saiaala
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麻生副総理のナチス肯定発言に断固抗議する

日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会は、以下のような声明を発表しました。

麻生副総理のナチス肯定発言を断固として糾弾するとともに、憲法を守り、平和とくらしに生かすために奮闘する声明

日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会(日本AALA)は、去る7月29日、国家基本問題研究所月例研究会での麻生太郎副総理・財務相の改憲問題に関する発言に対し、民主主義の深化と世界諸民族の主権擁護=世界平和を希求する立場から、驚きと深い憤りを禁じえません。
麻生氏は、自民党が目論んでいる改憲への道のりのモデルとして、ワイマール憲法から「ナチス憲法」への変遷過程について述べました。いかにも「物知り」であるかのように。しかし、「ナチス憲法」など起草されたことはありません。このことは、高校程度の世界史知識を有する一般市民であれば、承知していることです。それが、日本の「副総理」の口から出たのですから、驚嘆の一語に尽きます。
「ナチス憲法」は、ナチス独裁制を象徴的に表現したものと大目に見ても、ナチス独裁制が、「いつの間にか」、「誰も気づかないで」、「喧騒」なしで、樹立されたというのは、歴史の偽造です。
たしかに、ナチス党の初期の形成過程は、見ようによっては、そう言えるかもしれません。第一次世界大戦後の「苦境」の中で醸成された「不満」を糧に生まれたナチス党は、共産党や社会民主党、労働組合の進展に恐れを感じた独占資本に支援され、ヒトラーの巧妙狡猾なデマゴギーもあって勢力を急に伸ばしました。独自の武装集団として突撃隊・親衛隊を組織。国防軍を懐柔。こうして、1932年7月の総選挙で1372万票、230議席を獲得して、議会第1党になりました。右派政党との連立提案には、首相職の要求が容れられなかったため、連立を拒否し、新政府は信任されず、11月に再び総選挙。ナチス党は200万票を失って、196議席に後退。これに対し、共産党は100議席。社会民主党は121議席を獲得して、左翼が連合すれば、政権掌握も可能という状況が生まれました。独占資本に支持された右翼勢力には「ナチス脅威」論が薄れ、首相を除く閣僚11人中2人だけをナチス党に許すこととして、ヒトラーの首相就任を認めることとなり、1933年1月30日にヒトラー連立内閣が成立しました。
ナチス党の権力争奪のたたかいが公然と展開され始めました。ヒトラー内閣成立後2日にして、野党との交渉決裂を口実に国会を解散。3月5日に選挙と決めました。その間に、2月27日、ドイツ国会放火事件を引き起こしたのです。自分たちの手で放火しておいて、「共産党の犯行」と断定し、共産党と社会民主党の新聞の禁止と共産党幹部の逮捕を命令。社会民主党も弾圧の対象とされました。こうして、ナチス独裁制確立への道の最も大きな障害だった共産党をはじめとする進歩勢力に大きな打撃を加えました。
しかし、3月5日の選挙は、ナチス党に絶対多数を与えませんでした。ナチス党は、288議席を得ましたが、過半数には36議席足りませんでした。ヒトラー政府は、3月8日、共産党の議席剥奪を宣言。3月23日には、立法権を国会から政府に移す「全権委任法」(「授権法」)を「3分の2」の多数で可決し、ワイマール憲法を事実上葬ってしまったのです。
このような過程を、「いつの間にか」とか、「誰も気づかないで」とか、「喧騒」なしで、進められたと言えるでしょうか。
このようにナチス独裁制樹立のためにヒトラーがとった野蛮極まりない「手口」を「学んだらどうかね」と麻生氏は問いかけています。「ねじれを解消して」可能性が生じた自民党の独裁体制を、ナチスに倣って、うち立てようというのでしょうか。
麻生氏は、問題発言の3日後の8月1日に、国内外からの鋭い批判にさらされて、「コメント」を発表せざるをえなくなりました。この中で、「ナチス政権下のワイマール憲法にかかる経緯」について「喧騒にまぎれて十分な国民的理解および議論のないまま進んでしまった」とのべていますが、何とも理解しがたい一文です。ナチス政権下ではワイマール憲法は文字面にしかすぎなかったのですから。ワイマール憲法は、「喧騒」の中で起草された、それゆえ、「あしき例」というのでしょうか。まったく、支離滅裂です。およそ、歴史を引き合いに出す資格なしと言わなければなりません。
「いつの間にか」「誰も気づかないで」「喧騒」をともなわずに、ナチス独裁制が確立されたという認識の上で、あの「手口」を学ぶよう「研究会」で勧めたことには一言の反省もなく、「ナチスおよびワイマール憲法にかかる経緯について、きわめて否定的にとらえている」と開き直っても、まったく的外れと言わなければなりません。7月29日の「研究会」で、歴史事実を知らないのに、おこがましくも言及したことの深い反省がない以上、「言い訳」にもなっていません。
ただ、麻生氏は、次のことを言いたかったのではないでしょうか。現行の日本国憲法は、「喧騒にまぎれて十分な国民的理解および議論のないまま進んでしまったあしき例」であり、いまや憲法改正の必要ありということ、現在進行中の改憲論議で、9条、25条を守れ、96条改正に反対という市民運動、その運動を報道する「マスコミ」がもたらしている「喧騒」を排除して、新しい憲法を起草したい、と。しかし、自民党の憲法改正に異を唱えている市民運動は、麻生氏の言う「喧騒」ではなく、「国民的理解および議論」を深めつつあるのです。麻生氏の論は、自民党、現政府の意をたいしたものにすぎないのです。
これを主張するために、歴史という動かすことのできない事実、ナチスの例を、全く史実と異なる形で、我田引水したこと。自分の論に箔をつけるためにしたこととはいえ、あまりにも下司な根性からと言わなければなりません。
こういう、歴史を踏みにじる人物が、日本の国の政治指導者、しかも、ナンバー2の副首相であることに、驚き恥じ入るとともに、日本市民として憤怒を禁じえません。
このような妄言を弄した麻生氏を,「ナチスに関する発言を撤回したのだから、責任は果たしたものと考える。政治家の進退は自己責任で行われるべきものだ」と免罪する菅官房長官、副総理に任命している安倍晋三総理の責任は極めて重大です。
私たちは、麻生氏の副総理解任はいうに及ばず、議員辞職を強く要求します。同時に、今こそ、日本国憲法を守り、平和とくらしに生かすために奮闘する決意を表明します。

2013年8月4日 

    日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会(日本AALA)

埼玉AALAは、8月6日、麻生太郎氏の議員辞職の要請文を本人に送付しました。埼玉AALAホームページでご覧ください。
by saiaala | 2013-08-06 16:20