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by saiaala
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2015年4月5日、那覇市で行われた菅官房長官と翁長知事との初会談

会談の模様が4月11日付け東京新聞に掲載されました。この記事を転載します。
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菅官房長官との初会談での
翁長雄志沖縄県知事全発言
2015年4月5日 那覇市にて 
 米軍基地の問題をめぐる菅義偉官房長官との五日の会談で、沖縄県の翁長雄志知事は、県民の思い、戦後の歴史、負担の実情を語り続けた。公開は冒頭の五分の予定だったが、翁長知事の弁舌は三十分近くとまらなかった。事務方が用意した資料にほとんど目をやらず、翁長知事が自身の言葉で紡いだ発言の全てをそのまま紹介する。    (三沢典丈、上田千秋)            

 お忙しい中、時間を割いていただき、意見交換の場をつくっていただいたことに感謝申し上げたい。
 官房長官からも話があったが、沖縄は全国の面積のたった0.6%に74%の米軍事用施設が置かれている。まさしく戦後70年間、日本の安全保障を支えてきた自負もあり、無念さもある。今、官房長官からそういったことに対して大変理解のある言葉をもらった。 そうであるならば、去年の暮れ、あるいは今年の初め、どんなに忙しかったかは分からないが、こういった形で話をする中で「物事を粛々と進める」ということがあったら、県民の理解ももう少し深くなったろうと思う。
 私は日米安保体制が重要だといういうのは、私の政治の経歴からいっても十二分に理解している。しかし、日本の安全保障を国民全体で負担するという気構えがなければ、今、尖閣の話しがあったが、たった一県のこの沖縄県に多くの米軍施設を負担させて日本の国を守るんだといっても、よその国から見るとその覚悟のほどがどうだろうかと思う。
 日本国民全体で負担する中で、日本の安全保障や日米安保体制、日米同盟をしっかりやってほしいというのが私の気持ちだ。
 オスプレイなどが本土で訓練する話もあったが、残念ながらいわゆる基幹基地を本土に持っていくという話がないから、訓練をしていずれ沖縄に戻ってくるのではないかという危惧は、今日までの70年間の歴史からすると、十二分に感じられることだ。不安がある。
 そして、どんなに言っても米軍の運用に自分たちは口を挟めないんだという形で物事が終わってしまう。環境問題もさることながら、日米地位協定の改定も抜本的な意味合いでやってもらわないと。沖縄の危惧は、今の日米地位協定の中では解決しにくいと思っている。
 今日まで沖縄県が自ら基地は提供したことはないということを強調しておきたい。普天間飛行場もそれ以外の取り沙汰される飛行場も基地も全部、戦争が終わって県民が収容所に入れられている間に、県民がいる所は銃剣とブルドーザーで、普天間飛行場も含め基地に変わった。
 私たちの思いとは全く別に全て強制接収された。自ら奪っておいて、県民に大変な苦しみを今日まで与えて、そして今や世界一危険になったから、普天間は危険だから大変だというような話になって、その危険性の除去のために「沖縄が負担しろ」と。「お前たち代替案は持っているのか」と。
「日本の安全保障はどう考えているんだ」と。「沖縄県のことも考えているのか」と。こういった話がされること自体が日本の国の政治の堕落ではないかと思う。 
 日本の国の品格という意味でも、世界から見ても、おかしいのではないかと思う。この70年間という期間の中で、基地の解決に向けてどれぐらい頑張ってこられたかということの検証を含め、そのスピードから言うと先にはどうなるのか。これもなかなか見えてこないと思う。
 一昨年、サンフランシスコ講和条約の発効の時にお祝いの式典があった。日本の独立を祝うんだという、若者に夢と希望を与えるんだという話があったが、沖縄にとっては、あれは日本と切り離された悲しい日だ。そういった思いがある中、あの万歳三唱を聞くと、沖縄に対する思いはないのではないかと率直に思う。
 27年間、サンフランシスコ講和条約で日本の独立と引き換えに米軍の軍政下に差し出されて。そしてその27年の間に日本は高度経済成長を謳歌した。その間、私たちは米軍との過酷な自治獲得運動をやってきた。想像を絶するようなものだった。
 官房長官と私は法政大学で一緒だが、私は22歳までパスポートを持ってドルで送金受けて日本に通った。そういったものなどを思い浮かべると、あの27年間、沖縄が支えたものはなんだったのかなと思い出される。
 そして、官房長官が「粛々」という言葉を何回も使う。僕からすると、埋め立て工事に関して問答無用という姿勢が感じられる。その突き進む姿は、サンフランシスコ講和条約で米軍の軍政下に置かれた沖縄。その時の最高の権力者だったキャラウェイ高等弁務官は「沖縄の自治は神話である」と。「自治は神話」だとあの当時に言った。
 私たちの自治獲得運動に対し、そのような言葉で、キャラウェイ高等弁務官が言っていて、なかなか物事は進まなかった。
 官房長官の「粛々」という言葉がしょっちゅう全国放送で出てくると、なんとなくキャラウェイ高等弁務官の姿が思い出される。何か重なり合う感じがして、私たちのこの70年間、何だったのかなと率直に思っている。
 そして、この27年間の苦しい中で強制接収された土地を、プライスさんという人が来て、プライス勧告というもので強制買い上げをしようとした。とても貧しい時期だったから、県民は喉から手が出るほどお金がほしかったと思うが、みんなで力を合わせてプライス勧告を阻止した。
 今、私たちは自分たちの手の中に基地(の土地)が残っている。こういった自治獲得の歴史は、「粛々と」という言葉には決して脅かされない。そう思っている。上から目線の「粛々」という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れて、怒りは増幅していくのではないかと思っている。私は辺野古の新基地は絶対に建設することができないという確信を持っている。
 こういう県民のパワーが私たちの誇りと自信、祖先に対する思い、将来の子や孫に対する思いというものが全部重なっていて、私たち一人一人の生きざまになってくる。こういう形で「粛々」とすすめられるものがあったら、絶対に建設することはできない。不可能になるだろうなと私は思う。そうすると、建設途中で頓挫することによって、起こりうる事態は全て政府の責任だ。世界が注目しているので、日本の民主主義国家としての成熟度が多くの国に見透かされてしまうのではないかな思っている。
 官房長官にお聞きしたい。ラムズフェルド国防長官(2003年当時)が「普天間は世界一危険な飛行場だ」と発言し、官房長官も国民や県民を洗脳するかのように「普天間の危険性除去のために、辺野古が唯一の政策」と言っている。辺野古基地ができない場合、本当に普天間は固定されるのかどうか、聞かせていただきたい。
ラムズフェルドさんも官房長官も多くの識者も世界一危険な基地だと言っているのに、辺野古ができなかったら固定化ができるのかどうか、これをぜひお聞かせ願いたい。
 普天間が返還され、辺野古に行って(面積が)4分の1になるという話がある。それから嘉手納以南の相当数が返されるというんですが、一昨年に小野寺前防衛大臣が来た時に「それで、どれだけ基地は減るのか」と聞いたら、今の73.8%から73.1%にしか変わらない。0.7%だ。なぜかというと那覇軍港もキャンプキンザーもみんな県内移設だから。県内移設なので、普天間が4分の1のところに行こうがどうしようが、73.8%が73.1%にしか変わらない。
 官房長官の話を聞いたら全国民は「相当これは進むな」と思うかも知れないけれど、パーセンテージで言うとそういうことだ。
 それから、もう一つ。那覇軍港やキャンプキンザーなどは2025年まで、2028年までには返すと書いてあるが、その次に「またはその後」と書いてある。これは日本語としてどうなんだと思う。
 2025年、2028年までに返すんだと書いておいて、その次に「またはその後」という言葉が付いている。「ハナシクワッチー」といって、沖縄では話のごちそうという言葉がある。いい話をして局面を乗り越えたら、このことにはまた知らんぷりというのが、戦後70年間の沖縄の基地の問題だったと思う。だから、今こうしてオスプレイをどこそこに持って行く、あるいはたくさんの基地が返るんだという話をされても、「またはその後」が付けば、「50年ぐらい軽くかかるんじゃないか」という危惧を県民はみんな持っている。こういうところをぜひご理解いただきたい。
 そして、安倍総理が「日本を取り戻す」と2期目の安倍政権から言っていた。私からすると、取り戻す日本の中に沖縄は入っているのか、率直な疑問だ。「戦後レジームからの脱却」ということもよく言うが、沖縄では「戦後レジームの死守」をしている感じがする。
 一方で憲法改正という形で日本の積極的平和主義を訴えながら、沖縄でのこの「戦後レジームの死守」をすることは、本当の意味の国の在り方からいくと納得しにくい。
 昨日、一昨日の官房長官の「沖縄県民の民意」というものがあった。「いろんなものがあってあの選挙を戦ったんだよ」と。「だから(民意は)いろいろあるでしょう」という話があったが、昨年度の名護市長選挙、特に沖縄県知事選挙、衆院選挙の争点はただ一つだった。前知事が埋め立て承認をしたことに対する審判だった。テレビ討論や新聞討論で(議題は)教育、福祉、環境、いろいろあるが、私と前知事の政策に、埋め立て承認以外では違いがなかった。
 あの埋め立て承認の審判が、今度の選挙の大きな争点であり、十万票差で私が当選したということは、もろもろの政策でやったものではないということを、ぜひ理解してほしい。辺野古基地の反対について、県民の圧倒的な考えが示されたと思っている。
 振興策の話もしていたが、沖縄県はいろいろ難しいところがある。例えば基地があることによって困ったことはなんだったかというと、あの9.11のニューヨークのテロでビルに飛行機がぶつかったときに、大変なことが起きたなと思ったら、一週間後には沖縄に観光客が4割来なくなった。そして4割来ないということは大変な出来事で、あのときの沖縄の苦しみというのは大変だった。
 そして尖閣も日本固有の領土だし、守ることは結構だ。しかしあの尖閣で何か小競り合いが起きると、石垣島に来ている百万人の観光客がすぐ10万人くらいに減るという危険性も十二分に持っている。そういう視点からも沖縄は平和の中にあって初めて、沖縄のソフトパワー、自然、歴史、伝統、文化、万国津梁(しんりょう)の精神、世界の架け橋になる、日本のフロントランナーとなる。
 経済的にもどんどん伸びていき、平和の緩衝地帯として他の国々と摩擦が起きないような努力の中に沖縄を置くべきだと思う。米軍基地があると、お互いの国とも近くて、最近はミサイルも発達しているので、一、二発で沖縄が危なくなる。
 こういったことを考え合わせると、米軍もアメリカももうちょっと遠いところに行きたがっているんじゃないか。日本のほうがかえってそれを止めて「抑止力」という形でやっているのではないかという疑問がある。
 アジアを見据える、あるいは中東を見据えるところまで沖縄の基地が使われるのではないかと思っているが、この辺の根本的な説明がないと、新辺野古基地というのは恐らく難しい。
 県民の今日までのいろんな思いは絶対に小さくはならない。もっと大きくなって、この問題に関して、話が進んでいくと私は思っている。
 きょう官房長官にお会いさせていただいたが、安倍総理にもこのような形でお話しする機会があれば大変ありがたい。ぜひ、その面談の手配をお願いしたい。
 (官房長官は)基地負担軽減担当大臣でもあるので、辺野古建設の中止をされて、しっかりと話し合いをして、基地問題を解決していただきたいと思っている。よろしくお願いします。
                         (2015年4月11日付東京新聞より転載)
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# by saiaala | 2015-04-19 12:45 | お知らせ

望郷の鐘感想

望郷の鐘 感想集 5

■すばらしい映画を作っていただき、上映していただきありがとうございました。観ることができ感謝です。心にしみる映画でした。沢山の方がこの映画を観られるよう機会をつくっていただきたいと思います。この時期に、こうした映画が作られたことはうれしい限りです。決して戦争する国にさせてはならない、そのために私の出来ることをしよう、という思いを強くしました。

■残留孤児を救う運動の中に、慈昭さんの努力がこんなにもあったのですね。また、以前から思っていましたが、日本の子どもたちを助けてくれた中国の方々のお力にも感謝の気持ちがいっぱいです。

■小4の時、終戦になりました。小2の時、アッツ島に始まり戦況は後退していきましたが、担任の教師からはよい話ばかり、それを信じて互いに子供まで信じ、話し合ったことを思い出しました。教育は恐ろしい!信じ込ませて偏向の方向に心を持っていく。だから今、本当のことを教育は正しい方向にむかわせるべく、たたかって行かなければならない。そういうことを感じました。

■このところ国会中継を見ていると、腹立たしいことばかり、シビリアンコントロールについても中谷防衛大臣は、どうして出来たか知らないとコメントしているし、どうかしてるよ、この国の政府は。
何としても、今の政府の進んでいこうとしている道を止めさせなくてはいけません。自分に何が出来るか判りませんが、二度とこのような不幸な出来事を起こしてはなりません。
 政府や自民党の人々に、観てほしいです。そして想像力を働かせてほしいです。いつも馬鹿を見るのは庶民です。力を合わせて、草の根で、止めていかなければ。絶対戦争は反対です。

■涙が止まりませんでした。戦争は二度としてはいけないと思いました。

■私も挑戦から引き上げてきた者です。一ヶ月ほど毎日歩いてやっと引き上げてきました。色々苦労してきました。二度と戦争はしてはいけません。

■戦争はよいことは一つもない。どの国にとってもその国の庶民たちにとっても。自民党に深く考えてほしい。特に安倍さんに…。

■冬子さんと同じくらいの年齢で、終戦を満州で迎えました。言えるのは、孤児にならなくてよく帰国できたと言うことです。開拓団のご苦労にあらためて敬意を表します。

 以上で感想は終わりです。
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# by saiaala | 2015-03-27 00:28 | 映画

望郷の鐘感想

望郷の鐘 感想集 4

★知らないことが沢山ありました。観てよかったです。

★夕陽は美しく思う人のもの。戦争の悲惨さが心に強く残りました。広く伝えていく活動に感謝します。

★私も北朝鮮からの引揚者です。2才でしたが、母から「引揚者の大変な苦労を」聞かされました。大変いい映画です。若い人々にぜひ観てもらいたいと思います。

★日本政府は開拓団の方々を二度もだました。今又、集団的自衛権、秘密保護法などでだまそうとしている。二度とだまされないよう気を確かに、我々は何をしなければならないか、行動しよう。

★その時代のことをよく映像にしていただきありがとうございました。学習や本、体験を聞いておりましたが、映像は格別です。これからの日本の生き方、私たちの生き方に必要なことだと思います。

★とてもよい映画でした。大勢の人に観てもらいたいです。ただ、主役の坊さんの娘が急に表に現れて、もう少し見つかった経緯を映してほしかった。

★大変よかった。私も満州で生まれ、終戦で氷川丸で帰ってきました。母も92才となり、色々話を聞きますが、まだまだ知らないことばかりです。山田監督のすばらしい映画をもっと人々に観てもらいたいと思います。内藤剛志が好演していました。

★満州へ開拓団として行った人々は侵略者であった。の言葉が重く心に残る。だまされずに、自分の意志で…だます相手はあまりにも大きい。勉強しなくては。
私自身が中国上海からの引揚者、産まれて半年で日本の帰って来ました。母と時々その当時のことを話します。苦労したけど、やっぱり侵略したことも忘れてはいけないとも思ってます。

★父は鉄道員でした。戦争中、家族は満鉄の職員として中国へ行く話がありました。母が強く反対して、中国に行きませんでしたが、人生は判りません。残留孤児は人ごとではないと実感してます。
「だまされてはならない」正に今と戦争中の空気は同じような怖さを感じています。このお坊さんのように生きねばならない、涙涙の連続でした。           
                                           つづく
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# by saiaala | 2015-03-24 12:00 | 映画

望郷の鐘感想集

望郷の鐘 感想集 3

◆私の主人の家族も満州帰り(父、満鉄社員)。 昭和21年春、九州の佐世保港に着くまでに、船の中でも何人もの死者を見たそうです。海に死体を葬り、その周りを汽笛を鳴らし一周するそうです。今回(この映画での)の戦争は、「満州(中国)への侵略戦争だ」
戦争は「嘘」から始まるとありましたが、個人の自由を認めぬ国家主義(赤紙に反すれば非国民)により、戦にまっしぐら。折しも朝ドラの「マッサン」がそれを描いている。そして、3月10日は東京大空襲で10万人が犠牲に。私の町内でも家族4人亡くした人、クラスの半数、父親を亡くし、担任のフォローが大変だったということを聞いています。本主人公の阿智村の僧侶も満州で家族、教え子をなくしている。しかし、残留孤児を守り続けてきた。
集団的自衛権、秘密保護法、憲法改正許せません。とてもよい映画でした。

◆私も中国の開封で産まれ、引揚者です。戦争の悲惨な体験を子供ながら憶えています。本当に残留孤児になるところでしたが、幸い日本に帰ることが出来ました。今日の映画を観て、本当に戦争はやってはいけない、絶対に!

◆私の父は拓務省の役人でした。この映画を観てどのような言葉が聞かれたのか…と思い、複雑な思いで観ていました。ぜひ、子供達、その親達に観てもらいたいと切望します。ちなみに、私は引揚げの様子も、又、その前に官舎にいたソ連兵が上がり込んで父に銃を向けた恐怖体験も忘れています。母曰く「恐怖心で記憶をなくした」と。
 父は残留孤児情報のTVをいつも観ていた。何故?と問うと「責任を感じているから」と一言だけ。

◆私の父も召集され(戦争反対の人だったため36才で)ロシア人、中国人、朝鮮と皆さんに助けられ昭和24年帰国しました。
 戦争はどんな理由があっても人殺ししかありません!!やってはいけません!!

◆よい映画でした。私の身近にも満州(中国)から赤ん坊の頃、親に連れられて帰った人沢山いました。戦争は絶対ダメです。九条を守りましょう。

◆是非とも観たい作品であり、主演の内藤剛志さんが“なりきった”演技でよかった。NHKプレミアムドラマ「開拓者たち」では、克明に逃避行の様子が描かれ「大地の子」でも残留孤児について感動を覚えたものです。
今回の作品は、正に僧侶の山本慈紹さんに焦点が当てられたのは意義深いし、時宜を得た上映会でした。
この企画をなさった埼玉AALAに敬意を表します。高齢者が多く、もっと若者にアピールしたい。又、残留孤児問題の現状は今、より困難になっており、そのことも弁護士や主催者からいってほしかった。エンドロールの途中でスポットあいさつは如何か?         つづく
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# by saiaala | 2015-03-23 00:06 | 映画

望郷の鐘感想集

望郷の鐘 感想集 2

◆戦争は加害者、被害者の両者及び巻き添えをくう人全てを不幸にすることを改めて感じました。平和憲法を 守るべきと思います。とてもすばらしい映画でした。

◆今、きな臭い環境がせまってきているのが恐ろしくてなりません。映画の中で「だました者、だまされた者」と いわれましたが、だまされないように賢くならなければなりません。戦争は、一番弱い者が被害者になりま  す。一票をきちんと考えて投票する大人に皆がならなくてはなりません。これが何より大切なことなのです。
 マスコミは真実を知らせて下さい。

◆こんにちは。映画を観る前までは、母から聞いた戦争だけでしたので、家族がどのように生きてきたかなど 本当に知らずに来たことに、また健康に、食物も十分にあったこと、感謝しなければと改めて思いました。
 また、映画の上映会をぜひ若い人に観ていただく機会を設けられること、願うばかりです。戦争はしてはい  けないこと、知ってほしいと切に思います。今日は本当にありがとうございました。

◆母(現在102才)が、昔、お父さんが満州へ行こうと母に言ったそうですが、母は行くんだったら「あんた1人 で行って」と言って、行くのを止めたと話してくれたことを想い出しました。もし、父母が子どもを連れて行った ら今の私はいなかったと思います。戦争とは?子や孫達が戦場へ行くことがないように強く思いました。あり がとうございました。

◆私は終戦の時に中国のハルピンの近くに居住し、両親と兄、弟、私の5人家族でした。終戦後一ヶ月で兄、 弟は伝染病にかかり死去し、両親と私3人でリュック一つの持ち物で帰国しました。戦後一年間中国にい   て、兵隊屋敷の中で市民が約1000人で生活しておりました。そして帰国するのに1ヶ月を要しました。(8/1 出発、東京着8/30)この日時は今でも忘れることなく、よく記憶しております。あの当時の生活を思い出すこ とにより、中国の人たちも同じ人間なので皆親切にしてくれました。同じ屋根の下で生活したこともあります。
 私の父は埼玉県が移住地の埼玉村(浜江省華賀県)に教師として働いておりました。戦争の体験はなくても 戦後の生活は大変でした。

◆ありがとうございました。こうして知ること、知らされることが一層大切な時代になっていると思います。

◆友人に満州より引き上げた方がおり、満州の生活と引き揚げの様子をよく聞いておりました。満州を訪ねる 話もあり、今年計画されたら夫婦で行くことにしようと言っております。本日の映画は本当に良かったです。

◆引揚者(当時5才)の1人であった私に、全く違和感はありませんでした。その通りでした。中国人に悪い感情を抱いていない私たちがいることをよく伝えていて、すばらしいものでした。君が代を否定し、うさぎ追いし・ふるさとを歌った心は、全く同感です。人間の国に日本をしたいものです。

◆私の故郷も阿智の近くの伊那谷です。開拓団のことは実家で聞いたことがありました。
 日本の政治のお粗末さにはほんとにがっかりしますが、人の心の温かさ純粋さにはほんとにうれしく思います。良い記録映画をありがとうございました。ちなみに私の父もテニアンで戦死しました。

◆去年、明科駅近くの廃線ルートをハイキングした折、満蒙開拓団のことの碑があり何が書いてあるか(カメ   ラにも写してきました)読んでびっくりしました。当時その村の村長さんが上からの開拓団協力の判命令的  な要請を断って行かせなかった。このことをあとでこの地の医師が、決断の正しかったことを本当にその人  の目で確かめて顕彰した碑でした。当時相当な非難があったと思いますが、この勇気ある決断で村人を  救った方がいて、その上にこの碑を建てた村人たちがいるということ、本当に胸を打たれました。あとでカメ ラに写したのをプリントしてよく読み直します。残留孤児たちとならざるを得なかった人たちのことが今日の  映画でとてもよく分かりました。棄民ということ、だまされるなということ、本当に多くの人達に知らせたいで  す。
                                               続く
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# by saiaala | 2015-03-15 16:01